キューバのコーヒー歴史とその特徴

コーヒーの歴史や文化

こんにちは、colorful beansです。

今回のテーマはキューバについてです。

日本ではあまり知られてない銘柄の一つではないでしょうか。

そんなキューバのコーヒーについて詳しく解説をしていきます。

キューバを知る

まずは、キューバの位置から確認をしてみましょう。

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キューバは、アメリカ大陸と南米大陸の間に位置するカリブ海にあり、細長い国土をもつカリブ海最大の島国です。

コーヒーよりも歴史・世界史的には有名なキューバ。

そんなキューバの歴史を見てみましょう。

1492年 コロンブスにより発見されたキューバ。

当初はジパングではないかと思われていたが、黄金などは発見されなかった。

スペイン人の入植は1511年頃からはじまり、次々と島は制服されていくことになる。

先住民インディオはスペイン人により奴隷とされ、過酷な労働を強いられることになる。

また、人口は激減していくことになるが、黒人奴隷制度が導入され、砂糖プランテーションの島となっていった。

その後、スペインはイギリスとの戦争をフランスと共に戦うが、フランス・スペインが破れ、1763年パリ条約で、スペインはフロリダをイギリスに割譲する代わりに、キューバは返還された。

18世紀末 キューバは植民地としての重要性を高めるが、それは隣のハイチで黒人反乱が起こり、サトウキビ農園が破壊されたことにより、キューバ産のサトウキビの需要がたかまったのです。

そしてアメリカ合衆国の独立、サトウキビの輸出先にもなり、ハイチに代わり、サトウキビの栽培から、それを原料とする砂糖の産地として重要になったのである。

現地生まれのスペイン人により大規模な砂糖プランテーションが経営されるようになる。

その後、黒人奴隷は拡大していくが、しだいに世界的な奴隷制度反対が起き始め、奴隷貿易廃止、1833年には奴隷制度の廃止が実現するが、しばらくの間キューバでの奴隷はなくならない。

また、タバコの生産もあり、その需要の広がりに合わせて葉巻の生産地として急成長もする。

その後、第一次独立戦争、第二次独立戦争を繰り返し、地の利を活かしたアメリカからの介入。

1895年 キューバ独立の父と言われる、ホセ・マルテイの独立運動。

ホセ・マルテイはキューバの独立をみることなく命を落とすが、19世紀のカリブ海の暗黒の時代に生まれた、一筋の光明と言われている。

1898年 アメリカ・スペイン戦争が起こる。

アメリカはスペインを駆逐し、パリ条約によりキューバはスペインからの独立を果たす。

しかし、キューバにとって悲願の独立も、アメリカの介入(文明化を名目)により軍事占領、プラット条項など事実上のアメリカの保護国として、1902年独立が認められた。

その後、スペインの完全撤退、独立維持の為にアメリカの介入を認めさせ、軍事基地貸与条約締結。

キューバは独立はしたものの事実上はアメリカの属国と化したといえるでしょう。

そして、バティスタの独裁政権、カストロのキューバ革命、アメリカによる締付け、明確な反アメリカを掲げるなど、アメリカへの不満は大きくなり、アメリカとの国交断絶など混迷を極め、ソ連からの介入?というか歴史や指導者の流れにより、ソ連に傾く時代になると、ソ連はキューバにミサイルの配備等を進めようとする。

アメリカはそれを察知し、海上封鎖を行い、ソ連にそれの撤去を迫った。

これが、1962年のキューバ危機である。

この危機は一応回避されたが、その後もアメリカによる経済封鎖は続き、砂糖の輸出も停まり、キューバ経済に大きな打撃となるが、カストロの協力な指導力により現在まで社会主義体制を維持している。

その後も両国の仲は悪くなる一方で、アメリカによるテロ支援国家とされるなど悪化の一途をたどる。

その変化が起き始めるきっかけとなったのは、1989年の冷戦終結。

しだいに緩和していく両国ではなるが、オバマ大統領誕生により拍車がかかる。

そして、2015年米州首脳会議でオバマとラウル・カストロの会談が実現し、「キューバの雪どけ」といわれ、これには、カナダとローマ教皇の仲介があったと言われている。

そして翌16年、オバマはキューバを訪問。キューバとアメリカの国交回復。

しかし、トランプ大統領誕生により、国交回復に強い懸念を表明するなど、まだまだ安定した両国関係ではないようです。

キューバのコーヒー歴史

ながく、歴史について解説してきましたが、ようやくコーヒーの話ですね。

キューバのコーヒーのルーツは、1747年になります。

歴史でもありましたが、やはりスペイン人によりコーヒーノキが持ち込まれたようです。

その場所は首都であるバハナ近郊といわれています。

キューバのコーヒー栽培の環境

まわりの国も有名なコーヒー生産国がありますように、最適な環境や気候と言えるでしょう。

熱帯の恵まれた気候に加え、雨季や乾季もありコーヒーの栽培に適しています。

また雨量も適度にあり(東京並み)メリハリのある気候と言えるでしょう。

ただし、キューバの土壌は酸性土が多く、腐食が少なく、かつ粘土質で植物が吸収できる有効態リン酸が不足しています。

リン酸肥料の投入無くしては、なかなか作物栽培は困難な土壌をしています。

そんな中、農家らの努力により成功しているコーヒー栽培と言えるかもしれません。

大国と比べると多いとは言えないキューバのコーヒー生産量ではありますが、見かけた際には是非一度、お試しください。

また、ハリケーンの到来もあり、安定した栽培・収穫に至らず、なかなかお店などでは見かけないキューバ産のコーヒー豆ですが、現在ではネット通販など検索すると簡単に見つけることもできます。

そんな土壌でありながら、栽培がうまくいくもう一つは、標高の高い山々の存在でしょう。

マエストラ山脈はキューバ最高峰のトゥルキーノ山(標高1974m)がそびえています。

キューバのコーヒー豆の特徴

全体的には、マイルドでバランスの良い味わいのコーヒー豆です。

酸味や苦味もほどよく、甘さも感じられるコーヒーです。

非常に飲みやすいコーヒーだと思います。

ここからは、銘柄をいくつか紹介しましょう。

クリスタルマウンテン

豆は大きめな印象で、バランスのよい味わいにやや高い香りをもち、ブルーマウンテンの風味に近いと言えます。

またキューバ産のコーヒーの中では高級な品種で取引されています。

そして水晶が取れる産地で栽培されていることから、この名前が付けられたと言われています。

シエラ・マエストラ

酸味・苦味・甘みがバランスよく、マイルドな味わいのコーヒーです。

コロンビアっぽいと言えるでしょう。

シエラ・マエストラは先であげた、トゥルキーノ山で栽培されています。

キューバ TL(ツルキーノ)

苦味は少なく、ほんのりとした甘い味わいの飲みやすいコーヒーです。

爽やかな酸味があり、香りも高いのが印象的です。

私も取り扱いはありますが、ブレンドとしても活用できる豆です。

キューバ単体ではなかなか、見かけないですが、キューバ産コーヒーの90%は日本に輸出されています。そのことから知らず識らずの内に口にしているなんて事もあるのかもしれませんね。

焙煎度と特徴

コーヒーを表現する際に、なかなか個性的な表現が少なく、筆者を悩ませるのですが、

焙煎士として、キューバの豆の焙煎について解説をしましょう。

やはり、浅いめの焙煎で特徴と引き立て、酸味や甘さを表現し、苦味を抑えた焙煎度がオススメ。

バランス型でマイルドで滑らかな口当たりを堪能してください。

ハイローストからシティローストまでの間が一番良い印象です。

フルシティローストになると、苦味が現れてきますので、個性的な一面を出しますが、そこまで強烈な印象は持ちません。これは好みになってはしまいますね。

フルシティを超えてのフレンチやイタリアンでは苦味がつよく、ちょっと個性的だけでは表現して足りないでしょうね。

あまり好印象な苦味ではないですし、奥深さとも違い、単に苦いだけとも言えるかもしれません。

私の好きなマンデリンとは似つかないですよね。

マンデリンの深入りは、本当にコクと、苦甘の味わい、香りともに良い苦味だと思ってますので、キューバに関しては、深入りにするなら、単一で楽しむよりブレンドの隠し味というのか、アクセントとするべきという個人的な意見です。

最後に

キューバのコーヒーに解説をしてきました。

如何でしたでしょうか。

他国と比べてキューバの国としての歴史を多めに書きましたが、コーヒーの栽培・生産国の歴史を知る中で、どうしても避けて通れない黒人奴隷(奴隷制度)などの暗黒の時代とも言える歴史。

その中でも大きな意味のある歴史をもつキューバ。

だからこそ、冒頭に大きく取り上げてみました。

それらの歴史や産地、特徴を知ることで、コーヒーへの思いも巡らせてみてはどうでしょうか。

何気ない毎日のコーヒー、どんな銘柄でどんな国でどんな背景があるのか?

少しだけ知ってみた、その味わいはどことなく変化をもたらすことでしょう。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

では。

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