はい、colorful beansです。
宇宙系のブログから地球の歴史と思わぬシリーズ化してしまったブログですが、
前回までのブログ(古第三紀~第四紀)で地質時代の区分としては現代に突入しました。
以下が第四紀が現代である基準です。
第四紀は地質時代の一つで、約258万8000年前から現在までの期間です。他の地質時代が生物相の大幅な変化(特に大量絶滅)を境界として定られたのに対し、第四紀は人類の時代という意味で決められました。現在ではヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定しています。
完新世(ホロセン)は、地質時代区分(世)のうちで最も新しい時代であり、約1万1700年前から現在までの期間を指します。第四紀の第二の世であると同時に、現代を含みます。
完新世(ホロセン)は現在進行中の地質時代であり、現代を含みます。したがって、ホロセン以降の時代は存在しません。ただし、人類の歴史においては、ホロセン以降に多くの出来事があります。そのような年表を作成することができますが、それは地質時代とは異なるものです。
現代の地球・人類の年表
とはいえ、人類・現代が第四紀からと言われても、我々にとっては人類の歴史も十分に長く感じる訳で、宇宙や地球誕生から見れば、ほんの一瞬の年月かもしれませんが。
やはり人類の年月も長い歴史をもっていると感じてしまいます。
そこで、現代の年表で少し振り返ってみましょう。
- 紀元前8000年頃: 農業の発展
- 紀元前3000年頃: 文字の発明
- 紀元前500年頃: 哲学、科学、宗教の発展
- 1世紀: ローマ帝国の拡大
- 5世紀: ローマ帝国の衰退
- 15世紀: ルネサンス
- 18世紀: 啓蒙思想の発展
- 19世紀: 産業革命
- 20世紀: 第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、コンピューターの発展
- 21世紀: インターネット、スマートフォンの普及
1世紀頃になると歴史の授業などでも扱われるので、自分ごとというか、身近に感じるようになりますね。
紀元前8000年頃 農業の発展
紀元前8000年頃、人類は近東地方で初めて狩猟・採集経済から穀類の栽培、家畜の飼育に成功し、農業社会へ移行しました。
この時期に栽培された作物には、エンマーコムギ、ヒトツブコムギ、オオムギ類、エンドウマメ類、レンズマメ、ヒヨコマメ、アマなどがあります。
南北アメリカでも紀元前8000年頃から、玉蜀黍、ジャガイモ、薩摩芋、トマト、南瓜、唐辛子など100種類以上の植物が栽培されていました。
大陸ごとや主要国によって、農業の発展には特徴があります。
例えば、紀元前8000年頃、近東地方では穀類の栽培が始まりました。
一方、南北アメリカでは玉蜀黍、ジャガイモ、薩摩芋、トマト、南瓜、唐辛子などが栽培されていました。
中国南部では、紀元前6200年頃までには米の栽培が開始されました。
これらはあくまで一例ですが、地域によって栽培される作物や農業の発展には特徴があります。
農業の発展は、文化の発展にも大きな影響を与えました。農業が発展することで、人々は定住生活を送るようになり、社会が形成され、文化が発展していきました。例えば、紀元前8000年頃に近東地方で穀類の栽培が始まり、人々は定住生活を送るようになりました。これにより、社会が形成され、文字や法律、宗教などの文化が発展していきました。
大陸ごとや主要国によって、農業の発展と文化の関係には特徴があります。例えば、中国南部では紀元前6200年頃までに米の栽培が開始され、その後、儒教や道教などの宗教が発展しました。また、メソアメリカでは紀元前4000年頃にトウモロコシの栽培が始まり、その後、マヤ文明やアステカ文明などの高度な文明が発展しました。
紀元前3000年頃 文字の発明
紀元前3000年頃、世界で最初の文字が生まれました。それは、メソポタミアという土地でのことでした。最初の文字体系はシュメールで発明され、紀元前3千年紀後半までにウル第三王朝時代の古代楔形文字へ発達したと一般に信じられています。
同時代に、原エラム文字がエラム線文字へと発達していきました。
アフリカ大陸は、その広大な地域と多様な民族によって、非常に多彩で豊かな文化を生み出してきました。アフリカ大陸を歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分されます。
例えば、エジプトは人類の四大文明とされる古代エジプト文明を生んだ地であり、ヒエログリフで数千年におよぶ歴史がかなり詳細に碑文・壁画などに書き残されています。
歴史的に有名な人物としては、マリ王国のマンサ・ムーサーが挙げられます。彼は14世紀の西アフリカのマリ帝国の皇帝であり、彼のメッカ巡礼の際の逸話もその一端を語るものです。
とまぁ、この時代の歴史では、それほど多くの情報がある訳ではなく、なかなか調査も難しい状況ですね。
紀元前3000年頃に栄えていた文明には、古代エジプト文明、シュメール文明、インダス文明、中国の龍山文化、二里頭文化、石家河文化などがあります。
また、日本では縄文時代中期から後期にかけて集落が大型化し、三内丸山遺跡のような巨大集落が現れました。他にも、エーゲ海地方においてはキクラデス文明やクレタ島に栄えたミノア文明、ギリシア本土に栄えたミケーネ文明、小アジア西端のトロイア文明といったエーゲ文明の名で総称される各文明が起こっていました。
古代エジプト文明
古代エジプト文明は、紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が共和政ローマによって滅ぼされるまでの時代を指します。エジプトは不毛の砂漠地帯であるが、毎年夏のナイル川の増水で水に覆われる地域には河土が運ばれて堆積し、農耕や灌漑が可能になりました。この氾濫原だけが居住に適しており、主な活動はナイル河で行われました。
古代エジプト文明は4期に分けることが可能です。ピラミッドなどが建造された古王国時代、テーベを中心とした中王国時代、古代エジプトの最盛期となった新王国時代、外国の侵入に苦しんだ末期王朝時代です。これにギリシア系のプトレマイオス朝を加えます。
古王国時代は地方の有力者が中央政府から自立することで衰退し、その後エジプトは分裂時代に突入しますが、紀元前2040年頃に上エジプトのテーベの王がエジプト全体を統一し、中王国時代が始まります。中王国時代にエジプトの官僚制度が整備され、より強い仕組みが出来上がります。また、地中海のクレタ島などとの交易などによっても栄えました。
新王国時代はテーベの守護神アメンの神官団の勢力が増した時代でもありました。そのため、ファラオとアメン神官団は次第に対立関係になり、やがてアメンホテプ4世の宗教改革の原因となります。
シュメール文明
シュメール文明は、紀元前3500年頃に現在のイラクやクウェートがあるメソポタミア南部のバビロニアにおいて高度な都市文明を築いた人々です。彼らは、現代ではシュメール語と呼ばれる系統不明の言語を話し、最初は絵文字から始まり、楔形文字として知られる記号で書けるようになりました。
そして、アッカド人とともにメソポタミア文明の基礎を作り上げました。後に楔形文字シュメールの楔形文字は後の文明に影響を与え、後のアッシリア、バビロニア、アッカドなどの文化で使用されました。
前2900年ごろから前2350年ごろまでの初期王朝時代には、キシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマ、ラガシュ、ウルク、ウルのような有力な都市国家を形成しました。前3000年紀後半、アッカド帝国による征服を経て、前2112年ごろにはウル第3王朝が成立しました。
シュメール社会は階層化されており、王、神官、貴族、商人、住民、奴隷などの階級が存在しました。シュメール人は神聖な王権と宗教を重視し、神々への崇拝や祭祀が行われました。シュメールの神殿は、信仰対象の神々の住処として建設され、神聖な対象として扱われました。神官は重要な役割を果たし、神聖な儀式を執り行い、宗教的な秩序を維持しました。
シュメール文明では、ジッグラト(ピラミッド型の神殿塔)や宮殿、灌漑などの建築物が建設されました。また、陶器の製造技術や金属加工技術、織物なども発展しました。文化的には、シュメールの楔形文字による文書の記録や文学作品の創作が行われました。『ギルガメシュ叙事詩』は、シュメール文学の最も有名な作品であり、冒険と英雄主義を描いた物語として知られています。
インダス文明
インダス文明は、紀元前2600年から紀元前1800年にかけて、インド、パキスタン、アフガニスタンのインダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明です。この文明は、計画的な都市建設により排水溝や倉庫などの生活水準の高い都市が作られていました。また、独自の言語や印章に代表される文化なども根付いていたと考えられています。
インダス文明は突然消滅しましたが、その原因は未だ判明していません。インダス文字が解読できていないことも、謎を深める要因の一つかもしれません。
インダス文明は、計画的な都市建設により排水溝や倉庫などの生活水準の高い都市が作られていました。モヘンジョダロやハラッパーなどの都市では、直角に交差する道路や排水システム、公共の浴場や宗教的な建造物がありました。これらの都市は石煉瓦で建てられ、多層の住居や市場が存在し、高い文明レベルを持っていたと考えられています。
インダス文明の都市は、洪水を防ぐための洪水制御システムを備えていました。運河や排水路が都市の通りに設置され、水が効果的に利用されていました。また、井戸や浸透井(浸透地下水の採取方法)も使われていました。
インダス文明は独自の文字を使用しており、印章や印章印を作成していました。これらの印章は粘土板や貿易品に刻まれ、商業取引や行政上の文書に使用されていました。しかし、現在でもこの文字は解読されておらず、インダス文明の言語や詳細な文書の内容については謎が残っています。
また、インダス文明は豊かな商業活動を展開していました。遺跡からは貿易品や素材の広範なネットワークが明らかになっており、インダス文明は金属、宝石、織物、貝殻、穀物などを取引していました。さらに、都市の位置や水路システムの整備により、内陸と海洋を結ぶ交易が盛んに行われていました
インダス文明の社会構造については詳細が不明ですが、階層化されていたと考えられています。宗教的な実践や信仰も重要な役割を果たしており、彫刻や印章から神々や儀式的な行事の描写が見られます。また、シヴァ神や女神像などの信仰が存在していると考えられています。
龍山文化と二里頭文化
中国には、多くの古代文明があります。その中でも、龍山文化、二里頭文化は、重要なものです。
龍山文化は、紀元前3000年頃から紀元前2000年頃にかけて、中国北部の黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化であり、黒陶が発達したことから黒陶文化とも呼ばれます。この文化は、中原龍山文化(河南龍山文化と陝西龍山文化)および山東龍山文化に分かれています。
二里頭文化は、紀元前2100年頃から紀元前1500年頃にかけて、中国の黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化であり、都市や宮殿を築いたことが特徴です。この文明は、殷初期と考えられる二里岡文化に先行します。
あまり深い情報が検索できませんでしたね。
まだまだ謎に包まれている古代の中国の文明という感じでしょうか?
エーゲ文明
エーゲ文明は、紀元前3200年頃から紀元前1200年頃にかけて、エーゲ海周辺地域に栄えた古代文明の総称です。この地域は、地中海型の温暖な気候で、空気が澄み、島影を見失わずに安全に航海することができたため、先進のオリエント文化圏と海上交通で結ばれ、ヨーロッパの他の地域よりもはるかに早く高度な文化が開けました。
エーゲ文明には、有名なトロイア、ミケーネ、ミノアの三文明のほか、さらに古い段階のキクラデス文明やヘラディック期(英語版)ギリシア本土の文化などがあります。ドイツのシュリーマンによるミケーネ遺跡発掘により存在が確認されました。
前期エーゲ文明では基本的に戦争もなく比較的平和な時代だったと推測されます。それは発掘された王の宮殿からも推測できます。城壁もなく開放的な城の姿は海洋民族の特徴と言えます。一方、後期エーゲ文明では城塞がその特徴の1つとなっています。
エーゲ文明は、地中海を通じて古代オリエントと近く、他地域に先駆け文化が発達しました。線文字A、線文字Bなどの高度な文明を残し、古代エジプト文明の影響を受けたとされ、また青銅器文化も栄えました(線文字Aは未解読)。
しかし紀元前12世紀頃すべて突然滅亡しました。原因は未だ解明されていません。貢納王政の衰退とも言われていますが、北方ギリシア系ドーリア人、もしくは海の民の侵入との説が有力です。
三文明滅亡後のギリシアは人口が激減し線文字も人々から忘れ去られていったようです。エーゲ文明滅亡から古代ギリシア諸ポリス成立までの約400年間は記述による記録も残っていないためこの時期については不明です。そのためその時期を暗黒時代と呼びます。
メソポタミア文明
メソポタミア文明は、紀元前3200年頃から紀元前539年頃にかけて、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野で栄えた古代文明です。
現在のイラクの一部にあたります。世界最古の文明が発祥した地であり、メソポタミアに生まれた文明を古代メソポタミア文明と呼びます。文明初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。シュメールの後も、アッカド、バビロニア、アッシリアなどに代表される国々が興亡を繰り返しました。
これらの文明は、異なる民族によって築かれ、それぞれ独自の文化や宗教を持っていましたが、地理的に近く、交流があったため、共通点も多くあります。そのため、「メソポタミア文明」という言葉は、この広範囲な地域の様々な文明をまとめて指す言葉として使われます。
後書き
古代文明は、人類の歴史において重要な役割を果たしました。 エジプト文明、シュメール文明、インダス文明、エーゲ文明など、それぞれの文明は独自の特徴と進歩を持ちながらも、共通の要素を共有していますます。
これらの文明は、都市の建設、農業の発展、取引容易性の拡大、芸術や建築の発展、宗教的信仰と実践、文字や記録の利用など、幅広い分野で進歩を実現しました。は地理的・環境的な条件や社会的・文化的な要素によって形成され、その特徴は個々に異なるものでした。
エジプト文明はナイル川の好意を受け、ピラミッドやスフィンクスの建造物、ミイラ化された死者の信仰などの特徴がありました。シュメール文明はメソポタミアで栄え、農業の発展、楔形文字、都市の建設などインダス文明は洪水制御システムや都市計画、青銅器の使用などが特徴でした。 エーゲ文明はミノア文明とミケーネ文明の二つの主要な文化があり、芸術的な表現や商業活動、城壁の建設などが注目されました。
これらの古代文明は、人類の歴史を豊かにし、その成果は後の文明や文化に大きな影響を与えました。され、継承されてきました。
古代文明の研究は、私たちに過去の知識や文化の多様性を理解する機会を与えてくれます。これらの文明がもたらした進歩や成果は、私たちの今日の社会や文化においても継承し、発展させる上での貴重な教訓となります。
古代文明の遺産を大切にし、その貴重な遺産を保護・研究・普及することは、人類共通の責任です。過去の栄光と知恵を称え、未来の世代に引き継ぐために、私たち古代文明への関心と尊敬を持ち続けるべきです。
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