はい、colorful beansです。
この記事では、前回までのローマ帝国とキリスト教の記事より、その後の10世紀までを簡単にみていきましょう。
サイエンス系の記事では、ボリュームが付きすぎる傾向にあったので、少しスリムに作っていきたいと思います。
5世紀から10世紀の世界史
5世紀から10世紀初頭までの世界の歴史について、以下に主な出来事を挙げます。
5世紀:
- 476年に西ローマ帝国が滅び、中世ヨーロッパの時代が幕を開けます。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は続きます。
- バルバロ諸国の大移動が長く、ゲルマン民族やフン族の攻撃が頻繁に起こります。
- イタリアではオドアケルによる西ローマ皇帝廃位が行われ、イタリア王国が成立します。
- ゲルマン諸国が成立し、エフタルや北魏の台頭がありました。
6世紀:
- 東ローマ帝国の最盛期であるユスティニアヌス1世の治世(527-565年)があり、東ローマ帝国の拡大や法典の整備が行われました。
- ペルシアと東ローマ帝国の間で長期にわたって東ローマ・サーサーン戦争が勃発します。
- ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とササン朝ペルシアが隆盛を迎えました。
7世紀:
- イスラム教が興り、ムハンマドによる啓示とイスラム帝国の成立があります。
- イスラム帝国は急速に拡大し、中東、北アフリカ、イベリア半島を支配します。
- 東ローマ帝国とイスラム帝国の間で東ローマ・アラブ戦争が繰り広げられます。
- 唐が隆盛を迎えました。
8世紀:
- チャールズ・マルテルのフランク王国がイスラム勢力に対してポワティエ戦で勝利し、イスラム勢力の拡大を食い止めます。
- 東ローマ帝国ではイコノクラスム(聖像破壊運動)が行われ、教会内での聖像崇拝を巡る対立が続きます。
- アッバース朝イスラーム帝国が成立しました。
9世紀:
- カロリング朝のピークであるカール大帝の治世(768-814年)があり、西ヨーロッパで政治の安定と文化の復興が進みました。
- ヴァイキングが活動を積極化させ、北欧からヨーロッパ各地やさらには地中海地域にも広がります。
10世紀初頭:
- 東ローマ帝国のマケドニア朝が興り、文化的・軍事的な復興を目指します。
- キエフ・ルーシ(キエフ大公国)が成立し、東スラヴ人の政治中心となります。
以上が5世紀から10世紀初頭までの世界の歴史の主な出来事です。この時期は、ローマ帝国崩壊後の政治的な混乱と文化的な変革が進行し、新たな帝国や王朝の興亡が激しく繰り広げられました。
ゲルマン諸国、エフタル、北魏
ゲルマン諸国は、古代から中世初期にかけて中央ヨーロッパからスカンジナビアにかけて居住した民族集団のことを指します。彼らは現在の北部ドイツ、デンマーク、スカンディナヴィア南部地帯、古代ローマ時代において大ゲルマニアという地域に住んでいた人々で、アイスランド人、ノルウェー人、デンマーク人、スウェーデン人、アイスランド人、オランダ人、ドイツ人、イギリス人(特にイングランドを中心に)などの祖先となった人々です。
エフタルは5世紀の中ごろから中央アジアを統一した民族であり、ササン朝ペルシアの東に接し、初めはササン朝に協力して東方ローマ領を攻め、のちにはササン朝と突厥とに挟撃されて、558~561年に滅ぼされました。
北魏は中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国であり、前秦崩壊後に独立し華北を統一して五胡十六国時代を終焉させました。北魏は386年から534年まで存在しました。
イコノクラスム(聖像破壊運動)とは?
イコノクラスムとは、宗教的に崇められる画像を破壊する運動のことです。キリスト教で有名なイコノクラスムには、東ローマ帝国におけるイコノクラスムと、宗教改革時に西ヨーロッパで起こったビルダーシュトゥルム(絵画嵐)があります。
東ローマ帝国のイコノクラスムは、8世紀から9世紀の東方教会において、聖像(イコン)の崇敬が皇帝により禁止され、聖像を破壊した運動を指します。東ローマ帝国内を二分する争いになったほか、西方のローマ教会(のちのカトリック教会)はこれを非難し、イコノクラスム論争が起こりました。イコノクラスムは終局的には第七全地公会において異端と断じられ、東ローマ帝国地域でもイコン崇敬は復活しました。
今日では西方教会よりもむしろ、東ローマ帝国の旧版図の教会伝統を継承した正教会においてイコンが盛んに描かれていますが、その神学的正統性の論拠はイコノクラスムの時代に再確認、かつ強化されました。
ヴァイキングとは?
ヴァイキングは、ヴァイキング時代(800年 – 1050年)と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の武装集団を指す言葉です。通俗的には、ヴァイキングは角のある兜を被った海賊や略奪を働く戦士であるとされるが、このイメージは後世の想像の影響が強く、実際には略奪を専業としていたのではなく交易民でもあり、故地においては農民であり漁民であった。
つまり、「海賊」というのは「行為」のくくりで、「ヴァイキング」というのは「民族」のくくりと考えたらわかりやすいと思います。ヴァイキングが皆が皆海賊活動をしていたわけでもなく、漁師・農民・貿易・傭兵など生計の立て方は様々でした。海賊活動が有名なのでヴァイキング=海賊と結び付けがちですが、あくまで海賊行為はヴァイキングの経済活動の1つであった、くらいに考えておきましょう。
キエフ・ルーシ(キエフ大公国)とは?
キエフ・ルーシ(キエフ大公国)は、9世紀後半から13世紀半ばにかけて、東ヨーロッパおよび北ヨーロッパに存在した国家です。東スラヴ人、バルト人およびフィンランド人を含み、ヴァリャーグの王子リューリクによって創設されたリューリク朝の治世下で複数の公国が緩やかに連合していました。ベラルーシ、ロシア、ウクライナの現代の国家はいずれもキエフ大公国を文化的な祖先とし、ベラルーシとロシアはそれ(ルーシ)に由来する名称である。
キエフ大公国は882年頃に建国され、988年にキリスト教が導入されました。1037年には聖ソフィア大聖堂が建立され、1132年に戦国時代が始まりました。1240年にはモンゴル来襲があり、キエフが陥落しました。
5世紀から10世紀の日本史
5世紀から10世紀にかけての日本の歴史について、以下に主な出来事を挙げます。
奈良時代(710年から794年):
- 710年に平城京(奈良)が都として建設され、日本の政治・文化の中心が集中しました。
- 718年には「和同開珎」(わどうかいちん)が鋳造され、日本最初の正式な貨幣となりました。
- 8世紀半ばには仏教文化が隆盛し、多くの寺院が建立されました。代表的なものに法隆寺や東大寺があります。
平安時代初期(794年から9世紀):
- 794年に平安京(京都)が都として建設され、平安時代が始まります。平安京は中国の都市長安を模範とした都市計画が行われました。
- 平安時代初期には、貴族社会が形成され、朝廷や貴族たちの文化的な発展が行われました。
- 9世紀には仏教の一派である真言宗や天台宗が興り、修行法や密教の教えが広まりました。
- また、この時期には村落や荘園制度が発展し、地方社会や農村の形成が行われました。
この時期の日本は、政治・文化の中心が奈良時代から平安時代へ移行しました。仏教文化の隆盛や都市の発展が実現し、日本社会の変化が起きました。貴族社会も形成された時期であり、日本の歴史の中でも重要な時代となります。
後書き
この時代の日本史はなんか寂しい気がするけど、、、まぁ良しとしましょうかw
世界史の方がいろいろとあるからね。
5世紀から10世紀にかけて、世界史と日本史は多くの変革を迎えました。西ローマ帝国の滅亡、イスラム教の興隆、東ローマ帝国の隆盛、ヴァイキングの活動など、様々な出来事が起こりました。一方、日本では奈良時代から平安時代へと移行し、仏教文化が隆盛し、貴族社会が形成されました。この時期は、政治的な混乱と文化的な変革が進行し、新たな帝国や王朝の興亡が激しく繰り広げられました。これらの出来事は、現在の世界にも大きな影響を与えています。
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